感情

かつんせくぞなど。エントリによって人格が違う

嵐 THE DIGITALIAN『Hope in the darkness』を見たらジャニーズ観揺らいだ(後編)

⚠︎前回に引き続き演出のネタバレを含みます⚠︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の私!】

ステージ上のジャニーズを神と言い表していたがHope in the darknessの演出を目の当たりにし、「何を信仰していたのか?」「神はいなかったのか?」という揺らぎに直面したのであった…

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、タイトルに『Hope in〜』とありますがほとんどセトリの次の曲、Zero-Gの話をしていきます。

 

 

 

 

 

 

 

Zero-Gを見た

 

Hope in the darkness、タイトル通りジャニーズ観が揺らぐ程衝撃が大きい演出だったので放心しかけてたところに、間髪入れずZero-Gのイントロと、スクリーンには0と1の文字が流れ出します。

元々曲としてめちゃくちゃ好みだったのでただでさえちょっと待てになったんですけど、嵐のみなさんが腕のコードを剥がし取り投げ捨てる演出、あれ、天才じゃないですか?あれで待たせる間も無く死ぬほど泣きました。

 

前の曲で最後に抱いた感想が「信仰はどこへ」だったので余計に驚きました、その演出以降が"答え"だったので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、私はZero-Gを「神の再来」と解釈しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Hope in the darknessの歪んだ自己流解釈との対比で無理矢理思い込んでるんじゃないかと思われる可能性もありますが(実際そう)、いくつか根拠を述べてみたいと思います。正気ではないです、、、

 

まず、表情。

表情に関しては、二宮さんと松本さん。2曲での変化が凄まじい。これが私がアイドルを神と解釈する所以、とぶったまげましたマジで。

Zero-G、コードの演出だけで変化を感じるんじゃなくて、演じ方がまるっきり違うんですね。特に上記のお二人は。見てて最初に「あ、変わった」と感じたのが、二宮さんの「So I got it now」のアップになるところ。凄くないですか?Hope in〜では目を閉じてひたすら腕を動かす場面が多かった人が次の曲でウインクかましてるの。意図的に封印していたのは誰が見てもわかります。

私はまだアイドルの嵐を見始めて日が浅いので詳しいソースまで把握していないのですが、二宮さんが過去に自分にとってコンサートとは?と聞かれた際に「普通の男の子が神格化する瞬間」と答えたという話を見かけたんですね。解釈ド一致過ぎて私が震えたのは置いといて、そういった考えを持っている人が意図的にアイドルらしい表情をするのって、つまり二宮さんがあの曲区切りで"神格化"したってことなんじゃないかな、と思ってしまいました。まあ結局それも解釈一致を利用した考察でしかありませんが、、、

そして、松本潤さん。松本さんに関してはもう意図的な対比としか思えないのですが、大サビ前の、曲の印象が切り替わる場面だったり曲の中で一度しか出てこない展開だったりとかなり重要な部分で2曲ともセンターにいるんですね。

Hope in the darknessの松本さんは正面を向いたまま、他のメンバーの方とあまり変わらない動きでリズムを取り、歌っています(でもこれも凄い、あの恐ろしく綺麗な顔が機械っぽさとか人間離れした雰囲気を醸し出しているように見えるので)(満天の星のように生まれた神秘、彼のことでしょうか)。

一方Zero-G、「奪い去って Crazy heart」の顔を勢いよく上げた瞬間、見る者全て引き込むような迫力があります。私も腰抜かしました。

 

 

まさにZero-Gの時の松本潤さん、生の象徴みたいなエネルギーを感じるんですよね、、、 (上記のツイートはソロ曲「Come back to me」を聴いた時のものです )

Hope in〜とZero-G、どちらもアイドルでいてパフォーマンスしていたことには変わりはないのでしょうが、存在の仕方が変わっているというのは、単に演出の種類が変わったことにとどまらずその表情にも認められるのではないでしょうか。

 

 

次に、演出。

ついさっきまでほとんど表情を動かすことなく歌い、音や光を出す為に体を動かし、「科学の力で」「紛れもない人間が」「機械的に」やっていたことを全て取り去って、アイドル本来の、と言えるようなパフォーマンスを見せているZero-G。

あのコードを剥がし取る時に嵐の存在が本質レベルで変わっているように思えます。

 

ステージで歌い踊り、光も音も花火も中心にいる5人のために出ていて、魅せるものの中心が演出から嵐本人に移っているのもわかります。

前編で、「魔法が通用しない」と書きましたが、こちらはもう科学の力=現実の技術の力が為し得た世界観や迫力であると見せつけられるようなことはありません。コードを取って以降、観客の目を奪うものはフィジカルインターフェイスでも音でも光でもなく、嵐そのものなんですよね、、、

 

では、ならばZero-Gにおける演出は魔法になったのでしょうか。実はそうではないことは、コンサート内で言っているのではないかと思います、1曲目のAsteriskで。

Asteriskにある「It's not fantasy」これは空想なんかじゃないよ、という意味合いでしょうが、魔法や空想など存在するかわからないぼんやりしたことは否定されているんですよね。デジタルがテーマなのでそう言われればそりゃそうですが。

魔法や空想みたいな凄くてありえないことが説明されてしまい、さらに信仰していたのはその技術に対してだったのではないかという懸念は、THE DIGITALIANにおいて「やっぱりありえない魔法が起こっていたんだ」という答えで解決することはありません。

しかし、ライブの一番初めに「今から見せるものが空想などではない」というメッセージを置いた上で、一番最後に周りの演出が後回しになる程強い5人の"存在感"で人の目を惹きつけていたら、それ以上に確実なものって無いんじゃないかって思ったんですよね、、、、

ステージ上のジャニーズそのものへの信仰は、あれほど人を魅了していてそれが空想ではないという前置きによってさらに強固になります。「デジタルが凄い」をメッセージとして置いているかと思いきや最後の最後には「アイドルって凄い」が伝わってくるようにも思えます。

今までアイドルを幻想化・神格化することによって信仰を高めていこうとする気持ちがありましたが、"It's not fantasy"と歌い体現するアイドルが見せる神格化された姿ほど、確実で信じられるものもないのかもしれません。

 

 

 

 

先ほどコードを剥がし取る時に嵐の存在が本質レベルで変わっているように思えると述べました。では、コードを剥がし取る前後での嵐の存在って、何から何に変わったのでしょうか?

あくまで私の解釈の話なので正解を探す目的はありませんが(実際にインタビュー等で言及されていたらすみません)、この演出を何度か見てみて、はじめの頃は筋肉で演出を動かすことから紛れもなく人間であることばかりを強く感じていて、それがZero-Gで可視化しなくなったことによって神と定義できる存在へと変わっていったのだと思っていました。「人→神」への変化です。

しかし、この演出についていくつかネットで感想を読んだり嵐担の友人から解釈を聞いたところ、この変化が「機械→人」の変化であると感じた人が少なからずいることを知りました。

別におかしい話ではありません。ほとんど音や光を出すためだけの体の動きから、表情豊かになり踊るようになるのを見てそう思う人がいるのは当たり前ですし、私もいや確かにそうじゃんって思いました。私の感想は「ステージ上のジャニーズ=神」というジャニーズ観の上にありますし、そうでない人の印象が違うのもわかります。

しかし、私の見方と他の方の見方でここまで嵐の存在の捉え方が変わってくるのが面白かったので、なぜこの違いがあるのか考えながら最終的な自分の解釈を見つけていきたいと思います。

 

まず私が思うジャニーズの神様らしいとは、前編の言葉を使うと「歌って踊ることで人の心を大きく動かす、同じ人間とは思えない」状態です。これに補足すると、計り知れない大きさと説明できない種類の力によって少数の存在が多くの人の心を動かしている状態だと思います。

そして、ステージ上のジャニーズ(アイドルという言葉の方が文意を伝えやすいと思うので、完全に一致していない部分もありますが以降アイドルと表記します)らしさは私にとって神様らしさと置き換えられるものとします。

Hope in the darknessの演出は、観る人の心を動かす仕組みを説明しているように私には見えました。身体を動かしその動きが音や光になりひとつの作品を作るのが見え、観る人の多くはその演出自体に目を向けるため、あの時間ではアイドルの挙動や存在よりも、仕組みに意味がある演出になっていると考えられます(もちろんそうではない感想を持つ方もいらっしゃると思いますが)。

説明できるということは、私の「神様である」状態の定義には当てはまらなくなるということです。そしてその"説明"は人間の体の仕組みに求められていたために、私はHope in〜における嵐の状態を「人間」と解釈したのだと思いました。

この演出を見て嵐の状態を「機械」と考えた人がそう考えた理由は、説明の仕方(フィジカルインターフェイス)がシステマチックで、かつメンバーの皆さんのふるまいも機械らしかったからでしょう。これはあの演出で一番よく伝わる伝わり方というか、私も感じた確かにそうじゃんな部分ですね。

で、そのようにHope in〜の嵐を「機械」だと感じた方は、Zero-Gを見て「人間らしさ」を見つけると思います。そしてその「人間らしさ」が、その人の考え方の軸だったのかな、と感じました。

ここで、私がHope in〜で感じた「人間」は、上記の考え方の人が思う「人間らしさ」とは違う意味合いだと気付きました。「人間らしさ」は、表情が豊かであること、動きが一定や同じことを繰り返すものでないこと、心拍数が見えること(後ろのスクリーン)などからわかり、一方私の思う「人間」であることとは、神を殺すための説明の手段としての「人間」であることだったように思います。

そして、Zero-Gで、説明をやめて(フィジカルインターフェイスによる演出を終えて)歌い踊りながら"存在"自体で人を魅了する状態を見て「アイドルらしい」と感じ、その「アイドルらしい=神らしい」状態が、Zero-Gで嵐が人間らしくなったと感じた人の「人間らしい」状態と一致したことで、「人間」と「神」2つの解釈が生まれたのだという考察に辿り着きました。

前回のエントリを書いてから何度か2曲の演出を見返して、さらにこの考察の結果をふまえて解釈に結末を見つけようと思います。

 

結局、私もHope in 〜における嵐の状態は「機械」と解釈できると思いました。というのは、Hope in〜を見て「人間」だと感じるのとZero-Gを見て「神」だと感じるのとでは、解釈の軸が違っていると気付いたからです。

Hope in〜「人間」であることは説明の手段であり"事実"、Zero-Gで「神」らしくあることはそのような"振る舞いの結果"です。

この軸を片方に合わせてみます。Hope in〜における嵐の"振る舞いの結果"を見るとそれは「機械」的だと解釈できました。逆に、Zero-Gで神らしく振る舞っている存在は"事実"何かといえば、それはもちろん「人間」です。これは演出の前後で当然変わることはありません。嵐のみなさんが身体を動かし声帯を震わせるために、多くの人は感動し歓声を上げ、涙を流します。

嵐が人間であることは紛れもない事実でしょうが(Hope in the darknessを演れる時点で明白)、それを確認する術がなく、する必要もなくなるZero-Gでその事実は隠れており、完璧にアイドル(=神)を演じ切っていたために私は解釈の軸をブレさせてしまっていたのでしょう。感服。

 

最終的に一番納得のいく解釈をするとすれば、Hope in the darkness〜Zero-Gの演出を私は、「事実上の人間が概念的な『機械』にも『神』にもなる」というメッセージである、と受け取りました。

 

Hope in the darknessの歌詞は人間そのものについて歌ったのではないかと思えるほど生命力に満ちており、対するZero-Gは"zero-gravity(無重力)"、人間が生きられる状態ではありません。そのどちらでも生き、人に大きな感動を与えられるのがアイドルであり、時には機械、時には神となり魅了してくれるのでしょう。

 

 

 

 

そして、もしかしてそれってつまり、二宮さんの言っていた「普通の男の子が神格化する」ってことなんですよね、、、、、書きながら気付いて白旗振ってます。

 

 

 

 

事実が人間であってもそれが技術によって説明されても、その場その場で形を変え私達を驚かせてくれる存在=ステージ上のジャニーズがどんな場面でもいるとすれば、私達が信仰するものって演出の特効や技術ではなく、間違いなくステージ上のジャニーズそのものですよね、、、

Hope in the darkness〜Zero-Gを見て、最終的に私の信仰は深まり、ジャニーズ観はさらに強固になったというわけでした。

 

 

長くなりましたが、THE DIGITALIAN、借りた時はデジタルのスゲ〜演出見るぞ〜!!くらいな気持ちだったのでまさかここまで感情がデカく揺らぐと思っておらず初めて見た時非常に混乱しました。こんなにジャニーズの信仰について考えるとは思ってもいませんでした。しかも初見当時まだ出会って1ヶ月ちょいの嵐で。

しかし文にすることで自分のジャニーズへの認識について見つめ直せた気がします。貸してくれたフォロワー、嵐を勧めてくれた友人、嵐さん、ありがとうございます。

 

以上でHope in the darkness〜Zero-Gを見てのジャニーズ観の考察ブログを締めさせていただきます。最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Love Wonderlandあまりにも可愛過ぎてアホみたいに回した後CD買いました   かわいい